吉野ヶ里遺跡は弥生時代前期〜後期にかけて存在した環濠集落です。
弥生時代前期、吉野ヶ里の丘陵一帯に分散的に「ムラ」が誕生し、やがて南側の一面には環壕をもった集落が出現し、「ムラ」から「クニ」へと発展する兆しが見えてきます。
弥生時代中期には、南の丘陵を一周する大きな外環壕が掘られます。集落の発展とともに、その防御も厳重になってきていることから「争い」が激しくなってきたことがうかがえます。これが日本の城の起源とされる環濠集落の誕生です。
弥生時代後期になると、国内最大級の環壕集落へと発展し、大規模なV字形の外環壕によって囲まれ、さらに特別な空間である2つの内郭(北内郭・南内郭)をもつようになります。特に北内郭では大型の建物が登場し、吉野ヶ里の最盛期となりました。
環濠入口。
環濠入口を入るとすぐに外濠があります。
ワラで作られた動物たちの様子が再現されています。
南内郭の櫓門。この櫓門の上には兵士が立ち、下の門を通る人々を見張っていたと考えられています。
大人(タイジン)の住まい。南内郭には中央の広場を取り囲むようにたくさんの竪穴住居が建てられており、これらは様々な役割を担う支配者層の住まいであったと考えられています。
大人(たいじん)の家の中の様子。弓、盾、鎧や土器が再現されています。
王の家。南内郭の北西部には柵などによって囲まれた特別な空間があります。ここにある竪穴住居は王の家をはじめ、その娘夫婦の家や妻の家であったと考えられています。
王の住まいの様子。衣類や土器がいいものが使われていることが再現されています。
北内郭の入口。真っ直ぐ入ってこられないように鍵形に折れ曲がった構造をしています。こうした造りは古代中国の城郭都市に多く見られ、吉野ヶ里が大きな影響を受けていることを示しています。
北内郭の様子。右手に見えるのが主祭殿です。
主祭殿2階。吉野ヶ里のクニ全体の重要な祀りが開かれており、吉野ヶ里の王やリーダーたち、さらには周辺のムラの長が集まっています。
主祭殿3階。祖先の霊のお告げを聞く祈りを行っています。この結果は従者によって2階で会議を行っている王やリーダーたちに伝えられます。
北墳丘墓。吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられています。
中のムラ。祭祀権者の祭祀儀礼の補助等を行う祭司者達の生活の場であったと考えられます。
【登城記】
日本100名城スタンプラリーNO.88吉野ヶ里。
学校の教科書で習った吉野ヶ里遺跡。遠い記憶を辿って訪問してみると、まるで資料集をみているように再現された環濠集落や人々の暮らしぶりに心が踊りました。
50ヘクタール(東京ドーム1個分)の広さがあり、見どころもたくさんあります。主な見どころは、「南内郭」「北内郭」「北墳丘墓」となっています。見学所要時間は、駆け足で見ても60分ほどかかりました。時間に余裕があるのなら2時間以上はみてもらえるといいと思います。吉野ヶ里歴史公園内にはものづくり体験プログラムがあるようです。子どもと一緒に訪れたいスポットでした。
【お城データ】
住所:842-0035 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
電話:0952-55-9333(吉野ヶ里公園管理センター)
営業時間:午前9時~午後6時(6/1〜8/31)/午前9時~午後5時(9/1〜5/31)
定休日:12月31日、1月の第3月曜日とその翌日
料金:大人(15歳以上)420円/小人(小・中学生)80円/シルバー(65歳以上)200円
交通アクセス:JR長崎本線「吉野ヶ里公園」駅・「神埼」駅から徒歩約15分
駐車場:普通車310円(東口駐車場540台/西口駐車場310台/北口駐車場230台)
スタンプ設置場所:吉野ヶ里歴史公園東口
登城日:2015年11月
撮影機器:Nikon D5200
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【参考文献】
・日本100名城に行こう
・吉野ヶ里歴史公園HP
・吉野ヶ里遺跡Wikipedia