島原の乱の引き金となった島原城とは?

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長崎県島原市にある島原城(別名:森岳城)は1618年(元和4年)に松倉重政によって築城されました。五層天守閣を中核に、大小の櫓を要所に配置した、安土桃山期の築城様式を取り入れられました。本丸の広さは名古屋城に匹敵するほど広く、石垣は延長約四Kmにおよぶ巨城でした。
1637年(寛永15年)から松倉重政・勝家の圧政により島原の乱が起き、その後、松倉氏に代わって、高力氏、松平氏などが入城しました。
1874年(明治7年)廃城令により廃城処分となり、1876年(明治9年)には天守以下建造物が破却されました。
その後、1960年(昭和35年)に西三十櫓が再建されたのを皮切りに、天守閣、巽三十櫓、丑寅三十櫓が順次再建されました。

shimabara_castle駐車場を降りてすぐに、島原城天守閣がそびえ立っていました。白亜の五層天守閣がなんとも美しいです。

さっそく天守閣の中へ。1階〜3階は史料館となっており、5階までのぼって天守閣展望台に着きました。

shimabara_castle目下に城下町が広がっています。海の向こう、対岸には熊本と阿蘇山が見えます。

天守閣を下ってきて城内をぶらり。城内には「観光復興記念館」「西望記念館」「西の櫓」「民具史料館」があり、中は史料展示室となっています。
shimabara_castle美男子と言われている天草四郎。キリシタンの信仰の中心となって神父役を果たし、2~3万人の農民をまとめる中心人物でだったそうです。後ろに見えるのが西望記念館です。

さて正面に戻ってきて再度天守閣を。
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shimabara_castle西日に照らされ、ほのかにオレンジ色に染まった島原城はとても美しく見えました。

【登城記】
日本100名城スタンプラリーNO.91島原城。
白亜の天守閣はシンプルでとても美しかったです。その他に再建された西の櫓など外見は美しいですが、中は史料館でとにかく展示品が多かった印象でした。せめて天守閣の中だけでも内装も再建されていればなおよかったと思いました。
江戸から残っている遺構は石垣や堀なので、こちらを見るのに時間を割けばよかったと悔いが残りました。
見学所要時間は本丸だけでしたら30分ほどで見られてしまいます。お時間のある方は石垣や堀の方も見学されるとよいと思います。

【お城データ】
住所:855-0036 長崎県島原市城内1-1183-1
電話:0957-62-4766(島原城天守閣事務所)
営業時間:午前9時~午後5時30分
定休日:無休
料金:540円(大人)/270円(小中高生)
交通アクセス:島原鉄道「島原」駅から徒歩約5分
駐車場:320円(一般車)
スタンプ設置場所:島原城受付窓口
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登城日:2015年11月
撮影機器:Nikon D5200

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【参考文献】
日本100名城に行こう
島原城ポータルサイト
島原城wikipedia


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